大人の教養講座インタビュー。連載第3回目は『禅宗に学ぶ、これからの生き方』講師の白川さんです。

今回も愛読書やお気に入りの旅先から講師の方の価値観に迫ります。

【インタビュー】

氏名:白川 宗源様(35)

職業:臨済宗建長寺派広福寺副住職

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

座右の書:『釈尊の生涯』

 

-普段のお寺でのお仕事について教えてください。

 

まず一つが「お葬式」です。檀家さんや信者さんが亡くなられた時に、葬儀場におもむき、お経を唱えて、故人をお見送りします。

もう一つは一周忌などの「法事」です。

この二つが一般に良く知られるお寺の仕事ですが、実際にそうした仕事にあたるのは、準備を含めても1週間のうち3日くらいなので、あとは境内の掃除をしたり、電話や来客の対応をしています。

加えて、お寺といっても一つの会社のようなものなので、経理の仕事もありますし、様々な手続きのために銀行や役所等にもいかなくてはなりません。

こうやってお寺を運営していくというのが、主な仕事になります。

 

-かなり幅広い業務があるのですね-

 

そうですね。また、当寺の住職は地元昭島の歴史に非常に詳しいので、それを活かした社会貢献に尽力しています。

私の場合は、依頼を受けてラジオに出演したり、大学で講義を行なったりもしています。

 

-座右の書への思い入れは

 

私はお寺に生まれ、常に仏教が身近にありましたので、自然な流れでお坊さんになりました。そのため、好きな本は色々あるのですが、「お坊さんとしての座右の書」を問われると、すぐには思い当たらず、色々と思い返してみました。

そうすると、24才の頃に読んだ『釈尊の生涯』が私にとっては仏教というものを一番受け入れやすい形で説いてくれた本だったので、これを選びました。

 

内容は題名の通り、お釈迦様の生涯を書いた本です。お釈迦様は今から約2,500年前のインドに実在した人物ですが、それだけ昔のことなので判明していないことも沢山あるわけです。

しかし仏教を開いた偉大な方なので、後世には様々な伝説や逸話が語られるようになりました。例えば、生まれてすぐに7歩歩いて「天上天下唯我独尊」と唱えたとか、数々の奇跡を起こしたというような話ですね。

しかし私は、仏教が身近にあったからこそ、こうしたエピソードで語られる神秘的なお釈迦様に心惹かれることはありませんでした。

そのような中で、中村元という学者が、伝説や逸話を取り除いて釈迦という「一人の人間」の生涯を淡々と描いたのが、『釈尊の生涯』です。

そのため飾り気のない淡々とした記述に終始しているのですが、釈迦が私たちと同じように悩み、苦しみ、一生懸命に生きたことがよく分かり、そしてその教えが現代においても信仰されているということに感銘を受けました。

 

-確かお釈迦様は元々裕福な生まれの方なんですよね

 

そうです。シャカ族の王子として何不自由ない生活を送っていたのですが、若いときに「老いること」「病にかかること」「死ぬこと」という「逃れられない苦しみ」に悩み、「より良い生き方」について考え続けたことが仏教の源泉になります。しかし、こうした悩みって人間なら誰でもぶつかるといいますか、誰でも一度は考えることですよね。

お釈迦様の凄さとは、人生を賭けて、ひたすら真摯に、この悩みに向き合って考え続けたところではないかと、私は思います。

 

この本は、お釈迦様を遠くに仰ぎ見て信仰するのではなく、自分と同じ一人の人間として親しみを覚え、尊敬する気持ちにさせてくれます。

 

-宗教というより人生哲学に繋がりそうなお話ですね。

 

その通りです。現代の宗教は一括りにできないもので、「病気が治るようにお祈りする」といった側面も宗教として大切ではあるのですが、禅宗はそうした要素は弱く、どちらかというと哲学的要素が強い宗派になります。

遠くにいる仏様に救いを求めるのではなく、「自分と向き合って、自分の人生をしっかりと自分の足で歩んでいこう」という考え方が根底にあります。

 

-確かに現代人の私たちは神格化されすぎたものに対しては、距離感や疑問を感じてしまう人も少なくないと思います。

 

まだ科学が発達していなかった時代や、今日明日を生きることすら難しかった時代には、仏様にすがることが人々の心の支えになりました。もちろん現代の日本においても、仏様に救いを求めたくなる場面はたくさんありますが、とりあえず生きていくにはさほど困らない環境下では、自分と向き合うことが大切なのかなと思います。

 

-ありがとうございます。そしてもう一点。こちらもご職業に関連するかと思うのですが、お気に入りの旅先に選ばれている「チベット」についてお聞かせください。

 

チベットには14才と21才の時に行きました。チベットは人間が生活するには非常に過酷な場所です。5,000m級の山々に囲まれた高地で空気も薄く、太陽が厳しく照りつけ、動植物も限られ、食料生産にも一苦労する場所です。そのような厳しい環境で、チベットの人々は仏教の信仰を支えに生きています。

この「信仰を支えに生きる人々」の姿が、日本で生まれ育った私には非常に印象的で、大きなカルチャーショックを受けました。「忘れてはならない風景」として鮮明に覚えています。

もう一つ。

チベットには死者を鳥に食べさせる「鳥葬」という葬送文化があります。小高い山の上の平らな岩板に、切り刻んだ死体を置き、ハゲワシに食べさせるのです。残酷なようですが、チベットでは、火葬や土葬よりも、鳥葬がもっとも死者を敬った葬り方なのです。死体を鳥がついばみ、それが鳥の血肉となり、自然に還っていくという考え方です。

まだ中学生だった私は、このようなチベットの死生観に大きな衝撃を受けたことをよく覚えています。

 

-ありがとうございます。続いて相棒的な道具を教えていただけますでしょうか。

 

 

 

 

私の相棒は「筆」です。お坊さんは筆を使う機会が非常に多いので、「練習しなくては」という意味も込めて。

今の時代、お坊さんもスマホやパソコンを使いこなせなくてはならないと思いますが、やはり突き詰めて考えていくと「筆」に落ち着くのかなと思います。なぜなら、筆を使う機会が多いからという以上に、「筆」そして「書」というのは大切な文化だと思うからです。

私が心の拠り所としている禅は、日本文化の成り立ちに非常に大きな影響を与えています。例えば茶道や庭、建築なども、禅の影響を受けています。

そうした、禅の持つ文化的な魅力を大切にしていきたいと思っています。

ですので、昨今急速に失われつつある「筆の文化」も大切にしたいと考えています。最近は鉛筆やボールペンですら使わない傾向にあるので、なおさらです。

 

-素敵ですね。私も達筆とまでと行かなくてももう少し上手になりたいです。

 

禅宗では上手い下手よりも、字に現れる人柄を重視します。豪快な人は豪快な字を書く傾向にありますし、逆に豪快に見える人が繊細な字を書いていたら、その人は意外と繊細なのかもしれないと思ったりします。

書は人柄を表すという考え方からも、やはり筆は相棒として大切にしていきたいですね。

 

-胸に刻みます! それでは最後のご質問となりますが、今後の夢についてお聞かせください。

 

実は、遠大な夢や目標というものはないんです。強いて言うなら「今日一日をしっかりと生きること」です。もちろん大きな目標を持って、そこに向かって精進していくことは重要ですが、それよりも今日一日やるべきことをしっかりやるという気持ちが強いです。

そして、私の周りの人々が穏やかに過ごすことが出来れば、それで良いと思います。

そうした思いを全ての人が持てば、理論上は全ての人が幸せになるはずですよね。なので、こうした心の持ち方を多くの人に伝えていきたいと思います。

ですので、最終的な所まで突き詰めると私の夢は「世界平和」ということになるのでしょうか(笑)。

 

-多くのビジネスパーソンが仏教の教えを学んでいる理由の一つに「自分のできるタスクに集中する」という考え方を学べることというのが挙がるそうですが、少し繋がりを感じます。

 

そうですね。仏教というのは常に「古くて新しい」ものです。昔から言っていることは変わらないのですが、特に現代では見失いやすいことを大切にしているので、発見が多いのだと思います。

例えば、国連が提唱しているSDGsの根底には「地球というかけがえのない乗り物をみんなで守ろう」という考え方がありますが、これは仏教にとても共鳴します。仏教では「この世の中は、あらゆるものが繋がって成り立っている」と考えているからです。

SDGsによって、改めて仏教の現代における価値が再発見されたといえるでしょう。

 

-ありがとうございました。

【追記】

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